日系アメリカ人記念碑(National Japanese-American Memorial)
オススメ度:★★★☆☆
ユニオンステーションや国会議事堂から徒歩圏内ですので、日本人としてはぜひ寄ってほしい場所です。
Contents
日系アメリカ人記念碑の観光情報のポイント
営業時間: | 24時間 |
定休日: | なし |
入場料: | 無料 |
所要時間: | 10分程度 |
ナショナルパークサービス公式HP: | 日系アメリカ人記念碑(National Japanese-Americans Memorial) |
(2018/12現在)
日系アメリカ人記念碑の概要
第二次世界大戦中に、日系人であるが故に、アメリカ国に強制収容された日系アメリカ人のための記念碑です。
ワシントンDCの陸路の玄関口である”ユニオンステーション”のすぐ近くにあります。
日系アメリカ人記念碑の見どころ
このメモリアルには、日系アメリカ人強制収容の歴史、収容所の名前とそこに収容された日系人の人数、46年後に国として過ちを認めたレーガン大統領の言葉などが凝縮されています。
日系アメリカ人強制収容の歴史
1942年2月19日にルーズベルト大統領が出した大統領令により、12万人もの日系人が強制収容され、長い人では終戦後の1946年3月まで収容されていた歴史や、40年以上も経った1988年、レーガン大統領が国としての過ちを認め謝罪した歴史が説明されています。
強制収容の歴史
強制収容に対する謝罪の歴史
収容所
有刺鉄線でがんじがらめにされた鶴の像が建っており、太平洋戦争当時、有刺鉄線に囲まれた収容所に強制送還され監視されていた日系人が表現されています。
有刺鉄線に絡まれた鶴の像
その鶴を囲む壁には、10個の収容所の名前とそこに収容された日系人の人数が刻まれています。
どこの収容所も1万人程度、一番過酷な環境だったと言われているツールレイクには、2万人が収容されていたようです。
強制収容所の一つマンザナー
戦死者の慰霊
その屈辱にも耐えてアメリカ軍として戦地に赴き亡くなった方々の数え切れないほどの名前と、その戦没者の名前の横には、“あなたたちは敵だけでなく、偏見差別などとも戦い、そして勝った”というメッセージもそえられています。
戦死した日系人の名前
戦死した日本人に向けられたメッセージ
アメリカの謝罪
46年後に国としてその過ちを認めたレーガン大統領の言葉が刻まれています。
レーガン大統領のスピーチの一部
観光Tips!
ユニオンステーションからほんの少し奥に入るだけですが、ここはひっそりと静まり返っています。
アメリカ人の戦没者を慰霊した朝鮮戦争戦没者慰霊碑やベトナム戦争戦没者慰霊碑は、多くの人でにぎわうモールにあるのに対し、 こちらはアメリカ人は誰も訪れないのかと思うほどの静けさです。
日本人としては、ぜひ訪れてほしい場所です。
日系アメリカ人記念碑への行き方
ワシントンDCの陸路の玄関口”ユニオンステーション”から、歩いていきます。
ユニオンステーションと国会議事堂の間にあるので、国会議事堂に向かう途中にぜひ寄ってみてください。
ワシントンDCへの旅行情報(ホテル・航空券)
ワシントンDC観光をする際の、旅行情報をこちらの記事にまとめました。治安情報や、オススメのホテル宿泊エリアの紹介などをしています。
日系アメリカ人記念碑に関連する歴史
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