2001年
2001年9月11日、ニューヨークマンハッタンのシンボル、ワールドトレードセンターのツインタワーの1棟に旅客機衝突。 17分後、もう1棟に別の旅客機衝突。世界中の人々が、生中継で事件を目撃しました。3機目、ワシントンDCの国防総省へ墜落。 4機目は乗客の力により、国の中枢機関への追突を阻止。以後、アメリカはアルカイダとの戦いの歴史を歩んでいきます。

911同時多発テロについて、アメリカ国内の観光地や博物館をめぐり、展示物、解説などから得た情報を中心にまとめました。ゆかりの地も紹介しています。

9/11同時多発テロの概要

2001年9月11日、アメリカのシンボルが一つ消えました。 約30年もの間、ニューヨークの象徴だったワールドトレードセンターのツインタワーが、多くの人々が見守る中で崩れ落ちました。

   
同時多発テロの前と、直後のツインタワー

【8:46】1機の旅客機がNorthタワーに衝突。

7:59、ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、乗務員11人、乗客76人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。76,400ポンドの燃油を積載。

8:19、機内乗務員からハイジャックの通報あり。

8:46、アメリカン航空11便がワールドトレードセンターのノースタワー93階から99階部分に衝突。乗客・乗務員、ビル内にいた何百人の人々が一瞬にして亡くなりました。

この衝撃により、3つの非常階段すべてが破壊され、91階以上にいた何百人の人が逃げ道を失いました。

【9:03】2機目がSouthタワーに衝突。

8:15、ボストン発ロサンゼルス行きのユナイテッド航空175便が、乗務員9人、乗客51人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。76,000ポンドの燃油を積載。

8:52、乗務員からハイジャックの通報あり。

8:55、ノースタワーへの飛行機衝突により、ビルから逃げようとする人たちに向けて、館内放送が流れます。”サウスタワーは安全です。避難する必要はありません。避難途中の方はオフィスに戻ってください。“

8:59、サウスタワー内に、避難命令の館内放送。

9:03、ユナイテッド航空175便がサウスタワーの77階から85階にかけて衝突。乗客・乗務員とビル内の多くの方々が亡くなりました。

この衝撃により、3つの避難階段のうち2つが不通に、そしてエレベーターも停止したことにより、衝突階より上にいた多くの人がビル内に取り残されました。

【9:37】3機目が米国政治の中枢ペンタゴン(国防総省)に追突。

8:20、ワシントンDCダレス国際空港発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便が、乗務員6人、乗客53人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。49,900ポンドの燃油を積載。

9:12、乗務員の一人が家族にハイジャックを伝える。

9:37、アメリカン航空77便がペンタゴンに衝突。乗客・乗務員と、ペンタゴン内にいた125人の方々が亡くなりました。

下の写真は、9/11メモリアル公式サイトです。衝突直後のペンタゴンの様子を撮影したものです。黒い説明部分ではなく、両脇のカラーの部分をクリックしてみてください。説明が隠れ、写真を見ることができます。

消火後のペンタゴンの様子は、こちらです。


911同時多発テロの後のペンタゴン

【10:03】4機目がペンシルベニアに墜落。(DC中枢機関への追突回避)

8:42、ニューヨーク近郊のニューアーク国際空港発サンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便が、滑走路の順番待ちで予定より少し遅れ、乗務員7人、乗客33人、ハイジャック犯4人を乗せて離陸。48,700ポンドの燃料を積載。

その後、ハイジャックされた機内から、少なくとも37回もの電話が地上に入る。

8:58、機体はかなりの低空を飛行し、ペンシルベニアにある緊急オペレーターにつながる状態に。

10:03、乗客・乗務員が操縦席をハイジャック犯から奪い返した後、ペンシルベニア州のシャンクスビルという地域に墜落。乗客・乗務員が亡くなりました。墜落した場所は、政治の中枢ワシントンDCから、飛行機で20分ほどの近さでした。

下の写真は、9/11メモリアル公式サイトです。ペンシルベニアに墜落した飛行機の様子を撮影したものです。黒い説明部分ではなく、両脇のカラーの部分をクリックしてみてください。説明が隠れ、写真を見ることができます。

ペンシルベニアに墜落した旅客機の残骸

4機の旅客機は、アルカイダの訓練を受けたテロリスト19人によりハイジャックされ、およそ3000人の罪のない人々の命を奪いました。

ワールドトレードセンター:生死の分かれ道

衝突後、ワールドトレードセンターに取り残された多くの人たちは、逃げ道を失いました。

絶望に暮れ、ビルの何十階から飛び降りる人たちもいました。飛び降りて亡くなった方は、50人~200人超とも言われています。

ビルから飛び降りる人たちの写真が、ワールドトレードセンターの跡地である911ミュージアムや、ワシントンDCにあるニュージアムなどで紹介されており、言葉を失います。

一方、唯一残された奇跡の脱出経路にたどり着き、一命をとりとめた人たちもいます。

何百人の命を救い、後に“生還者の階段(Survivors’ Stairs)”と呼ばれるようになったボロボロの階段も、911ミュージアムの展示されています。

   
911ミュージアムに展示されている生還者の階段(左)と、事件直後の写真(エスカレーターの左側が”生還者の階段“)(右)

ワールドトレードセンターの崩壊

【9:59】2機目が追突したSouthタワーが一気に崩壊。

旅客機追突から約1時間後、たった10秒の出来事でした。

【10:28】1機目が追突したNorthタワー崩壊。

これにより、ツインタワーは跡形もなく、なくなりました。

突然のビル崩壊では、周りで様子を見ていた人たちのところにも、崩壊による破片・粉塵が津波のように押し寄せました。
それにより、ビルの下で消防活動をしていた消防士343人も命を落としました。


ぐちゃぐちゃにつぶれた消防車

この時殉死した消防士たちを追悼する碑も建てられています。


ワールドトレードセンター消火中に殉死した消防士たちを追悼する壁

激しく折れ曲がったビルの骨格は、米国内のいくつかの博物館で展示され、あまりのビルの面影のなさにテロの悲惨さを伝えています。下の写真赤枠の部分あたりが911ミュージアムに、 緑枠部分がニュージアムに展示されています。


旅客機が突っ込んだ直後のワールドトレードセンター

こちらが、赤枠部分:911ミュージアムに展示されている残骸です。


赤枠部分:ノースタワービルの骨格の残骸


上の写真が示す部分の説明@911ミュージアム

   
緑枠部分:ワールドトレードセンタービルの骨格の残骸(左)と、その説明@ニュージアム

そのほか、少なくともアメリカ歴史博物館ジョージ・ブッシュ大統領ライブラリー、そしてあまり関連はありませんがレーガン大統領ライブラリーにも、見る影もないビルの残骸が展示されています。

オサマ・ビン・ラディン

アメリカ合衆国は、翌日の9月12日、アルカイダのオサマ・ビン・ラディンが首謀者と特定しました。

実はその8年前、1993年2月26日にも、アメリカはアルカイダによって攻撃されています。標的は2001年と同じワールドトレードセンター。駐車場が爆発され、6人の死者と1000人以上の犠牲者がでています。

その時から、オサマビンラディン率いるアルカイダとの戦いは始まっていましたが、この9.11の同時多発テロが引き金となり、アメリカはテロリストとの戦いに大きく舵を切ることになります。
そして、ジョージ・W・ブッシュ政権を特徴づける戦いとなっていきます。


FBIに指名手配されたオサマビンラディン

オサマ・ビン・ラディンをかくまっていたのは、イスラム過激派集団のタリバンでした。ブッシュ大統領は、アルカイダのテロリストたちを引き渡すように要求しますが、タリバンはそれを拒否しました。

2001年10月、アメリカ軍と連合軍は、アフガニスタンのテロリストの潜伏場所を爆撃し、地上戦も始まりました。
タリバンとアルカイダの本拠地はすぐに崩壊したものの、オサマ・ビン・ラディンと、ほか重要な指導者たちは逃亡しています。

アルカイダとの戦いは、10年も続きました。

2011年5月1日早朝、反テロリズム精鋭部隊がパキスタンアボッタバードの隠れ家を襲撃し、オサマ・ビン・ラディンとほか4名を殺害。

同日、オバマ大統領がホワイトハウスから会見を開き、「アメリカがオサマ・ビン・ラディンを殺害した。」と発表しました。

ワールドトレードセンターの現在

ワールドトレードセンターの跡地“グラウンド・ゼロ”及び ワシントンDCのペンタゴンには、亡くなった方々を追悼するメモリアルが建てられ、犠牲者一人一人のお名前が刻まれています。


ワールドトレードセンター跡のグラウンド・ゼロ


ペンタゴンメモリアル

2017年現在、新たなワールドトレードセンターがニューヨークのシンボルとなり、マンハッタンの空に聳え立っています。


現在の新しいワールドトレードセンター。アンテナの立っている一番高いビル。

9/11同時多発テロが分かる観光地

https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_3093_.jpg?fit=900%2C506&ssl=1https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_3093_.jpg?resize=150%2C150&ssl=1やだこアメリカの歴史ジョージ・W・ブッシュ大統領2001年 2001年9月11日、ニューヨークマンハッタンのシンボル、ワールドトレードセンターのツインタワーの1棟に旅客機衝突。 17分後、もう1棟に別の旅客機衝突。世界中の人々が、生中継で事件を目撃しました。3機目、ワシントンDCの国防総省へ墜落。 4機目は乗客の力により、国の中枢機関への追突を阻止。以後、アメリカはアルカイダとの戦いの歴史を歩んでいきます。 911同時多発テロについて、アメリカ国内の観光地や博物館をめぐり、展示物、解説などから得た情報を中心にまとめました。ゆかりの地も紹介しています。 9/11同時多発テロの概要 2001年9月11日、アメリカのシンボルが一つ消えました。 約30年もの間、ニューヨークの象徴だったワールドトレードセンターのツインタワーが、多くの人々が見守る中で崩れ落ちました。     同時多発テロの前と、直後のツインタワー 【8:46】1機の旅客機がNorthタワーに衝突。 7:59、ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、乗務員11人、乗客76人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。76,400ポンドの燃油を積載。 8:19、機内乗務員からハイジャックの通報あり。 8:46、アメリカン航空11便がワールドトレードセンターのノースタワー93階から99階部分に衝突。乗客・乗務員、ビル内にいた何百人の人々が一瞬にして亡くなりました。 この衝撃により、3つの非常階段すべてが破壊され、91階以上にいた何百人の人が逃げ道を失いました。 【9:03】2機目がSouthタワーに衝突。 8:15、ボストン発ロサンゼルス行きのユナイテッド航空175便が、乗務員9人、乗客51人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。76,000ポンドの燃油を積載。 8:52、乗務員からハイジャックの通報あり。 8:55、ノースタワーへの飛行機衝突により、ビルから逃げようとする人たちに向けて、館内放送が流れます。”サウスタワーは安全です。避難する必要はありません。避難途中の方はオフィスに戻ってください。“ 8:59、サウスタワー内に、避難命令の館内放送。 9:03、ユナイテッド航空175便がサウスタワーの77階から85階にかけて衝突。乗客・乗務員とビル内の多くの方々が亡くなりました。 この衝撃により、3つの避難階段のうち2つが不通に、そしてエレベーターも停止したことにより、衝突階より上にいた多くの人がビル内に取り残されました。 【9:37】3機目が米国政治の中枢ペンタゴン(国防総省)に追突。 8:20、ワシントンDCダレス国際空港発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便が、乗務員6人、乗客53人、ハイジャック犯5人を乗せて離陸。49,900ポンドの燃油を積載。 9:12、乗務員の一人が家族にハイジャックを伝える。 9:37、アメリカン航空77便がペンタゴンに衝突。乗客・乗務員と、ペンタゴン内にいた125人の方々が亡くなりました。 下の写真は、9/11メモリアル公式サイトです。衝突直後のペンタゴンの様子を撮影したものです。黒い説明部分ではなく、両脇のカラーの部分をクリックしてみてください。説明が隠れ、写真を見ることができます。 消火後のペンタゴンの様子は、こちらです。 911同時多発テロの後のペンタゴン 【10:03】4機目がペンシルベニアに墜落。(DC中枢機関への追突回避) 8:42、ニューヨーク近郊のニューアーク国際空港発サンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便が、滑走路の順番待ちで予定より少し遅れ、乗務員7人、乗客33人、ハイジャック犯4人を乗せて離陸。48,700ポンドの燃料を積載。 その後、ハイジャックされた機内から、少なくとも37回もの電話が地上に入る。 8:58、機体はかなりの低空を飛行し、ペンシルベニアにある緊急オペレーターにつながる状態に。 10:03、乗客・乗務員が操縦席をハイジャック犯から奪い返した後、ペンシルベニア州のシャンクスビルという地域に墜落。乗客・乗務員が亡くなりました。墜落した場所は、政治の中枢ワシントンDCから、飛行機で20分ほどの近さでした。 下の写真は、9/11メモリアル公式サイトです。ペンシルベニアに墜落した飛行機の様子を撮影したものです。黒い説明部分ではなく、両脇のカラーの部分をクリックしてみてください。説明が隠れ、写真を見ることができます。 ペンシルベニアに墜落した旅客機の残骸 4機の旅客機は、アルカイダの訓練を受けたテロリスト19人によりハイジャックされ、およそ3000人の罪のない人々の命を奪いました。 ワールドトレードセンター:生死の分かれ道 衝突後、ワールドトレードセンターに取り残された多くの人たちは、逃げ道を失いました。 絶望に暮れ、ビルの何十階から飛び降りる人たちもいました。飛び降りて亡くなった方は、50人~200人超とも言われています。 ビルから飛び降りる人たちの写真が、ワールドトレードセンターの跡地である911ミュージアムや、ワシントンDCにあるニュージアムなどで紹介されており、言葉を失います。 一方、唯一残された奇跡の脱出経路にたどり着き、一命をとりとめた人たちもいます。 何百人の命を救い、後に“生還者の階段(Survivors’ Stairs)”と呼ばれるようになったボロボロの階段も、911ミュージアムの展示されています。     911ミュージアムに展示されている生還者の階段(左)と、事件直後の写真(エスカレーターの左側が”生還者の階段“)(右) ワールドトレードセンターの崩壊 【9:59】2機目が追突したSouthタワーが一気に崩壊。 旅客機追突から約1時間後、たった10秒の出来事でした。 【10:28】1機目が追突したNorthタワー崩壊。 これにより、ツインタワーは跡形もなく、なくなりました。 突然のビル崩壊では、周りで様子を見ていた人たちのところにも、崩壊による破片・粉塵が津波のように押し寄せました。 それにより、ビルの下で消防活動をしていた消防士343人も命を落としました。 ぐちゃぐちゃにつぶれた消防車 この時殉死した消防士たちを追悼する碑も建てられています。 ワールドトレードセンター消火中に殉死した消防士たちを追悼する壁 激しく折れ曲がったビルの骨格は、米国内のいくつかの博物館で展示され、あまりのビルの面影のなさにテロの悲惨さを伝えています。下の写真赤枠の部分あたりが911ミュージアムに、 緑枠部分がニュージアムに展示されています。 旅客機が突っ込んだ直後のワールドトレードセンター こちらが、赤枠部分:911ミュージアムに展示されている残骸です。 赤枠部分:ノースタワービルの骨格の残骸 上の写真が示す部分の説明@911ミュージアム     緑枠部分:ワールドトレードセンタービルの骨格の残骸(左)と、その説明@ニュージアム そのほか、少なくともアメリカ歴史博物館、ジョージ・ブッシュ大統領ライブラリー、そしてあまり関連はありませんがレーガン大統領ライブラリーにも、見る影もないビルの残骸が展示されています。 オサマ・ビン・ラディン アメリカ合衆国は、翌日の9月12日、アルカイダのオサマ・ビン・ラディンが首謀者と特定しました。 実はその8年前、1993年2月26日にも、アメリカはアルカイダによって攻撃されています。標的は2001年と同じワールドトレードセンター。駐車場が爆発され、6人の死者と1000人以上の犠牲者がでています。 その時から、オサマビンラディン率いるアルカイダとの戦いは始まっていましたが、この9.11の同時多発テロが引き金となり、アメリカはテロリストとの戦いに大きく舵を切ることになります。 そして、ジョージ・W・ブッシュ政権を特徴づける戦いとなっていきます。 FBIに指名手配されたオサマビンラディン オサマ・ビン・ラディンをかくまっていたのは、イスラム過激派集団のタリバンでした。ブッシュ大統領は、アルカイダのテロリストたちを引き渡すように要求しますが、タリバンはそれを拒否しました。 2001年10月、アメリカ軍と連合軍は、アフガニスタンのテロリストの潜伏場所を爆撃し、地上戦も始まりました。 タリバンとアルカイダの本拠地はすぐに崩壊したものの、オサマ・ビン・ラディンと、ほか重要な指導者たちは逃亡しています。 アルカイダとの戦いは、10年も続きました。 2011年5月1日早朝、反テロリズム精鋭部隊がパキスタンアボッタバードの隠れ家を襲撃し、オサマ・ビン・ラディンとほか4名を殺害。 同日、オバマ大統領がホワイトハウスから会見を開き、「アメリカがオサマ・ビン・ラディンを殺害した。」と発表しました。 ワールドトレードセンターの現在 ワールドトレードセンターの跡地“グラウンド・ゼロ”及び ワシントンDCのペンタゴンには、亡くなった方々を追悼するメモリアルが建てられ、犠牲者一人一人のお名前が刻まれています。 ワールドトレードセンター跡のグラウンド・ゼロ ペンタゴンメモリアル 2017年現在、新たなワールドトレードセンターがニューヨークのシンボルとなり、マンハッタンの空に聳え立っています。 現在の新しいワールドトレードセンター。アンテナの立っている一番高いビル。 9/11同時多発テロが分かる観光地一人旅でも100倍楽しめる アメリカ観光ナビ