キング牧師の暗殺(Assassination of Dr. Martin Luther King, Jr.)を暗殺現場で振り返る
人種差別や貧困問題に、非暴力で戦ったキング牧師。 黒人貧困労働者を救うために訪れたテネシー州メンフィスで、凶弾に倒れました。 アメリカでは今なお、無抵抗の黒人が白人警官に射殺されるなど、人種差別が根強く残っています。
このサイトでは、キング牧師暗殺事件について、暗殺現場やキング牧師ゆかりの観光地・博物館をめぐって得られた情報を中心に紹介しています。
キング牧師暗殺の概要
1968年4月4日、テネシー州メンフィスでマーチン・ルーサー・キング牧師は暗殺されました。
場所は、キング牧師がメンフィスで常宿としていたロレイン・モーテル(Lorrain motel)。 ディナーに向かうため、モーテルのこのバルコニーに出たところでした。
ロレイン・モーテルのバルコニー
ロレイン・モーテル
キング牧師ほどの人が、モーテル!?と思いますが、人種差別の激しい当時、たとえキング牧師といえど、白人と同じホテルに泊まることはできませんでした。
ロレイン・モーテル(Lorrain motel)は、当時数少ない黒人が宿泊できる場所でした。
1925年のホテル創業当時は白人専用だったものの、第二次世界大戦終わり以降、黒人のジャズミュージシャンたち(ナットキングコールなど)の所有と移り変わった歴史があり、黒人にとって重要な施設としてキング牧師も好んで泊まっていたようです。
ロレイン・モーテルの観光情報は、こちらで紹介しています。
メンフィスでの戦い
当時、メンフィスは、黒人のごみ処理労働者の労働条件向上に向けて、1300人の労働者がストライキを行っているところでした。
黒人はどれだけがんばっても低賃金、雨の日には仕事もお給料ももらえず(白人管理職は、給料をもらい仕事がある)、 ごみ処理作業にもかかわらず作業着は1着のみで着替える場所もないなど、黒人の労働条件の劣悪さを訴えていました。
黒人労働者たちは、労働条件の改善を求め、”I AM A MAN(私は人間で、尊重に値する)”という看板を首にかけ、 毎日、市庁舎までの道を行進していました。
ごみ処理労働者の抗議デモ
ところが、ある日、裁判所が抗議禁止命令を出しました。途方に暮れた黒人労働者たちは、キング牧師の力を借りようとメンフィスに呼んだのでした。
キング牧師は、1955年アラバマ州モンゴメリーで起きたバスボイコット事件(ローザパークス事件)以降、人種差別撤廃運動に奔走し、黒人のリーダーという存在になっていました。
キング牧師暗殺事件前日(1968年4月3日)
キング牧師の行動
1968年4月3日、キング牧師はメンフィス入りし、ロレイン・モーテルの306号室にチェックインします。
メンフィスの空港(写真左)と、ロレイン・モーテル(写真右)に到着したキング牧師
その日の夜、Mason Templeで行われる黒人たちの大集会には、当初はキング牧師は参加しないつもりでしたが、3000人の集会参加者たちがキング牧師の演説を聴きたい!ということで、急きょキング牧師が呼び寄せられ、演説をしました。
有名な” Mountaintop(山の頂)”スピーチ。次に起こることを予測しているかのようなスピーチでした。
Like anybody, I would like to live a long life.
(皆さんのように、私は長生きがしたい。)
He’s(God’s) allowed me to go up to the mountain. And I’ve looked over.
(神は、私を山に登らせてくれ、私は山の向こう側を見た。)
I may not get there with you.
(私はそこに皆さんと一緒に行くことはできないかもしれない。)
これが、キング牧師最後のスピーチとなりました。
暗殺犯 James Earl Ray の行動
同じ夜、James Earl Rayという脱獄囚がメンフィスに到着しました。彼が宿泊したのは、ロレイン・モーテルの向かいにあるホテル。彼のホテルの部屋のバスルームからは、ロレイン・モーテルとその306号室のバルコニーが見通せました。
彼の宿泊先からロレイン・モーテルの眺め
ジェームス・アーレイが泊まっていたホテルのバスルーム
このバスルームが発砲場所として、今も保存されています。
キング牧師暗殺事件当日(1968年4月4日)
1968年4月4日、午前中はロレイン・モーテルの会議室で、キング牧師はSCLCスタッフたちと議論し、来るデモ行進に備えていました。午後は、弟や仲間と楽しい時間を過ごしていたようです。
ロレイン・モーテルでは、キング牧師が前夜から過ごした306号室が、事件当時を再現され公開されています。
飲みかけのコーヒーカップや、たばこの吸い殻の量から、仲間たちが集まって議論などに花を咲かせていたことが窺えます。
当時を再現したロレイン・モーテルの306号室
午後もだいぶ過ぎたころ、側近の一人がいいニュースを持ってきます。地元裁判所が、デモ行進の許可を与えたとのこと。
法的なハードルがなくなり、キング牧師たちはお祝いムードの中、ディナーに行く準備を始めます。
その日は、地元の仲間が南部ソウル料理を振舞ってくれることとなっており、仲間の家に招待されていました。
キング牧師の暗殺
キング牧師は夕食に向かおうと、仲間たちと一緒にバルコニーに出ていました。
午後6:01、306号室のドアの前でキング牧師は撃たれ、そのままその角に倒れこみました。
ディナーのお迎えに来ていた仲間の車も停まっており、当時のように再現されています。キング牧師は、たくさんの仲間たちの前で撃たれたのでした。
ロレイン・モーテルのバルコニーと駐車場(写真左)と、キング牧師が倒れたバルコニー(写真右)
キング牧師は喉を押さえて倒れこみ、あたりは血の海になりました。近くにいた仲間たちは必死に止血し、救急車を待ちました。
6:06、救急車が駆け付けたときには、すでにキング牧師の脈拍はほとんどなくなっており、すぐにSt. Joseph Hospitalに運ばれました。
7:05、病院での懸命な手当てもむなしく、キング牧師が亡くなったことが告げられました。
キング牧師の遺志
キング牧師の死後、コレッタ夫人、仲間のAbernathyら、SCLCなどは、キング牧師の遺志を継ぎました。
1968年4月8日、キング牧師の追悼と、ごみ処理労働者の地位向上のため、メンフィスで行進。
生前キング牧師が手掛けていた、”Poor People Campaign”も引き継ぎ、白人と平等な賃金などを求め、ワシントンDCまでの行進を行いしました。
1968年5月2日、ワシントンDCまでの900マイル(1500㎞)の行進が、このロレイン・モーテルから始まっています。
ロレイン・モーテルで行われた、ワシントンDCへの行進の出発式
キング牧師の亡骸は、生まれ育ったアトランタに送られ、親子で勤めたEbenezer Churchで葬儀が執り行われました。
現在は、キング牧師国立歴史地区に指定され、そこに棺が安置されています。
キング牧師国立歴史地区に安置されている、キング牧師の棺
2018年は、キング牧師没後50周年です。50年たった今なお、黒人が白人警官に射殺される事件など、人種差別はなくなりません。
2018年3月25日、キング牧師の孫娘のヨランダちゃんが、キング牧師のあの有名な”I have a dream”スピーチを借り、銃規制を訴えました。
今年は、故キング牧師の力を借りて、新たな動きがあることを期待したいです。
キング牧師がわかる観光地
https://yadakotour.work/history/king/https://i0.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_1450_.jpg?fit=900%2C506&ssl=1https://i0.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_1450_.jpg?resize=150%2C150&ssl=1アメリカの歴史マーチン・ルーサー・キング・ジュニア1968年 人種差別や貧困問題に、非暴力で戦ったキング牧師。 黒人貧困労働者を救うために訪れたテネシー州メンフィスで、凶弾に倒れました。 アメリカでは今なお、無抵抗の黒人が白人警官に射殺されるなど、人種差別が根強く残っています。 このサイトでは、キング牧師暗殺事件について、暗殺現場やキング牧師ゆかりの観光地・博物館をめぐって得られた情報を中心に紹介しています。 キング牧師暗殺の概要 1968年4月4日、テネシー州メンフィスでマーチン・ルーサー・キング牧師は暗殺されました。 場所は、キング牧師がメンフィスで常宿としていたロレイン・モーテル(Lorrain motel)。 ディナーに向かうため、モーテルのこのバルコニーに出たところでした。 ロレイン・モーテルのバルコニー ロレイン・モーテル キング牧師ほどの人が、モーテル!?と思いますが、人種差別の激しい当時、たとえキング牧師といえど、白人と同じホテルに泊まることはできませんでした。 ロレイン・モーテル(Lorrain motel)は、当時数少ない黒人が宿泊できる場所でした。 1925年のホテル創業当時は白人専用だったものの、第二次世界大戦終わり以降、黒人のジャズミュージシャンたち(ナットキングコールなど)の所有と移り変わった歴史があり、黒人にとって重要な施設としてキング牧師も好んで泊まっていたようです。 ロレイン・モーテルの観光情報は、こちらで紹介しています。 メンフィスでの戦い 当時、メンフィスは、黒人のごみ処理労働者の労働条件向上に向けて、1300人の労働者がストライキを行っているところでした。 黒人はどれだけがんばっても低賃金、雨の日には仕事もお給料ももらえず(白人管理職は、給料をもらい仕事がある)、 ごみ処理作業にもかかわらず作業着は1着のみで着替える場所もないなど、黒人の労働条件の劣悪さを訴えていました。 黒人労働者たちは、労働条件の改善を求め、”I AM A MAN(私は人間で、尊重に値する)'という看板を首にかけ、 毎日、市庁舎までの道を行進していました。 ごみ処理労働者の抗議デモ ところが、ある日、裁判所が抗議禁止命令を出しました。途方に暮れた黒人労働者たちは、キング牧師の力を借りようとメンフィスに呼んだのでした。 キング牧師は、1955年アラバマ州モンゴメリーで起きたバスボイコット事件(ローザパークス事件)以降、人種差別撤廃運動に奔走し、黒人のリーダーという存在になっていました。 キング牧師暗殺事件前日(1968年4月3日) キング牧師の行動 1968年4月3日、キング牧師はメンフィス入りし、ロレイン・モーテルの306号室にチェックインします。 メンフィスの空港(写真左)と、ロレイン・モーテル(写真右)に到着したキング牧師 その日の夜、Mason Templeで行われる黒人たちの大集会には、当初はキング牧師は参加しないつもりでしたが、3000人の集会参加者たちがキング牧師の演説を聴きたい!ということで、急きょキング牧師が呼び寄せられ、演説をしました。 有名な” Mountaintop(山の頂)'スピーチ。次に起こることを予測しているかのようなスピーチでした。 Mountaintopスピーチ(ごくごく一部抜粋) Like anybody, I would like to live a long life. (皆さんのように、私は長生きがしたい。) He's(God's) allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. (神は、私を山に登らせてくれ、私は山の向こう側を見た。) I may not get there with you. (私はそこに皆さんと一緒に行くことはできないかもしれない。) これが、キング牧師最後のスピーチとなりました。 暗殺犯 James Earl Ray の行動 同じ夜、James Earl Rayという脱獄囚がメンフィスに到着しました。彼が宿泊したのは、ロレイン・モーテルの向かいにあるホテル。彼のホテルの部屋のバスルームからは、ロレイン・モーテルとその306号室のバルコニーが見通せました。 彼の宿泊先からロレイン・モーテルの眺め ジェームス・アーレイが泊まっていたホテルのバスルーム このバスルームが発砲場所として、今も保存されています。 キング牧師暗殺事件当日(1968年4月4日) 1968年4月4日、午前中はロレイン・モーテルの会議室で、キング牧師はSCLCスタッフたちと議論し、来るデモ行進に備えていました。午後は、弟や仲間と楽しい時間を過ごしていたようです。 ロレイン・モーテルでは、キング牧師が前夜から過ごした306号室が、事件当時を再現され公開されています。 飲みかけのコーヒーカップや、たばこの吸い殻の量から、仲間たちが集まって議論などに花を咲かせていたことが窺えます。 当時を再現したロレイン・モーテルの306号室 午後もだいぶ過ぎたころ、側近の一人がいいニュースを持ってきます。地元裁判所が、デモ行進の許可を与えたとのこと。 法的なハードルがなくなり、キング牧師たちはお祝いムードの中、ディナーに行く準備を始めます。 その日は、地元の仲間が南部ソウル料理を振舞ってくれることとなっており、仲間の家に招待されていました。 キング牧師の暗殺 キング牧師は夕食に向かおうと、仲間たちと一緒にバルコニーに出ていました。 午後6:01、306号室のドアの前でキング牧師は撃たれ、そのままその角に倒れこみました。 ディナーのお迎えに来ていた仲間の車も停まっており、当時のように再現されています。キング牧師は、たくさんの仲間たちの前で撃たれたのでした。 ロレイン・モーテルのバルコニーと駐車場(写真左)と、キング牧師が倒れたバルコニー(写真右) キング牧師は喉を押さえて倒れこみ、あたりは血の海になりました。近くにいた仲間たちは必死に止血し、救急車を待ちました。 6:06、救急車が駆け付けたときには、すでにキング牧師の脈拍はほとんどなくなっており、すぐにSt. Joseph Hospitalに運ばれました。 7:05、病院での懸命な手当てもむなしく、キング牧師が亡くなったことが告げられました。 キング牧師の遺志 キング牧師の死後、コレッタ夫人、仲間のAbernathyら、SCLCなどは、キング牧師の遺志を継ぎました。 1968年4月8日、キング牧師の追悼と、ごみ処理労働者の地位向上のため、メンフィスで行進。 生前キング牧師が手掛けていた、'Poor...やだこ 55yam.adako@gmail.comAdministratorやだ旅
コメントを残す