1972年

共和党ニクソン大統領は、選挙戦に勝つため敵の民主党本部に盗聴器を仕掛けさせました。しかし、実行犯は現行犯逮捕されてしまいます。ニクソンは自らの関与を否定して隠ぺい工作に走るものの、2年の歳月をかけてすべてが明らかとなり自ら辞任へ。米国史上初にして唯一の、現役大統領が辞任することとなった一大政治スキャンダルです。

ウォーターゲート事件について、アメリカ国内博物館や観光地をめぐり、展示物、解説などから得た情報を中心にまとめています。この事件のゆかりの地も紹介しています。

ウォーターゲート事件の概要

ウォーターゲート事件とは、アメリカ史上で唯一現役の大統領が辞任にまで至った、一大スキャンダルです。時の大統領は、リチャード・ニクソン。

ウォーターゲートの意味は?

ウォーターゲートとは、事件の発端となったビルの名前です。当時そのままではないものの、今もそこにウォーターゲートビルが建っています。 ポトマック川沿いに建つ、立派に目立つ丸いビルです。

Watergate building
現在のウォーターゲートビル

1972年、このビルには、民主党本部(当時の野党)が入っていました。現在は、ホテルも入る複合施設になっています。

ウォーターゲート事件の流れ

1972年6月17日、ウォーターゲートビルで、5人の侵入犯が逮捕。

5人の侵入犯が、民主党本部の電話に盗聴器をしかけ、極秘文書を盗み出そうとしているところを、現行犯逮捕されました。

いずれも、ニクソン大統領とつながりのある者たちでした。しかし、ニクソン大統領は、ホワイトハウスは関与していないと誓います。

1972年11月、米大統領選挙でニクソン再選。

多くの有権者はニクソンの誓いを信じ、大統領二期めを狙うニクソンを支持しました。

parade
大統領再就任パレード

ところが、ニクソンはその一方で、事件の隠ぺい工作に走っていました。 実行犯には“口止め料”を、CIAにはFBIの捜査を遅らせるように指示を出していました。

1973年6月、大統領の事件関与を認める、初の証言。

初めて大統領の事件関与を認める証言をしたのが、ホワイトハウスの顧問であるジョン・ディーン氏です。

上院での証人喚問の際の原稿が、アメリカ歴史博物館に展示されています。

John Deantestimony
証言するジョン・ディーンと、その原稿。

”ニクソン大統領は、何を、いつから知っていたのか”という質問に対し、

”事件の始めから、口止め料支払いなどに至るまで、広範囲に渡り大きく関与していた”と証言しました。

1973年7月、大統領補佐官の一人が、大統領の秘密の録音システムの存在を公表。

ホワイトハウスの大統領執務室等には秘密の録音システムがあり、すべての会話が録音されていることが判明しました。アメリカ議会、捜査官、一般市民など、多くの人がニクソン大統領関与の真相を解明する鍵になると確信しました。

1973年10月、録音テープの提出を求める捜査官を大統領権限で解雇(土曜日の夜の虐殺)

コックスという一人の特別検察官が、ニクソンに録音テープの提出を求めました。

ニクソンは大統領権限でそれを拒み続けますが、おさまりを見せず、ニクソン側は”Stennis Compromise”という示談案を提示します。しかし、その案はテープの提出は拒む内容であったため、コックスは受け入れ拒否を発表しました。

これを受けたニクソンは大統領権限で、司法省にコックス特別検査官をクビにするように指示します。

しかし司法省トップの司法長官と司法長官代理は、自ら辞任する道を選んでその命令に抵抗しました。 次の順位にくる訴訟長官が、やむなくコックス特別検察官を解雇しました。

1974年7月24日、最高裁がニクソンに録音テープを引き渡すように命じる。

1974年8月5日、ニクソン側はようやく録音テープを提出。ニクソン大統領の共謀が白日の下となりました。

1974年8月8日、弾劾が必至な状態となったため、ニクソン大統領は自ら辞任を表明。

1974年8月9日、ニクソン大統領最後の日。ニクソン大統領は閣僚とホワイトハウス職員へ別れの挨拶。

last day

ニクソン大統領のホワイトハウス職員への最後の挨拶

事件に関与した数名の補佐官は、有罪判決となり刑務所へ送られましたが、ニクソンは自身の過ちを最後まで認めませんでした。

ニクソン大統領ライブラリーでは、ホワイトハウスでの最後のスピーチの映像が流れています。特に悪びれた様子もなく、事件のことには一切触れていません。

大統領最後の日、ホワイトハウスの芝生の上に停まるヘリコプターから、両手ピースで手を振ってお別れしました。このなんとも図太い人間臭さが魅力的な、ニクソン大統領らしい去り方でした。

goodbye wave
大統領専用ヘリに乗り、ホワイトハウスを去るニクソン大統領

ペンタゴン・ペーパーズ

ペンダゴン・ペーパーズとは、ウォーターゲート事件の大本のきっかけとなった、国防総省(ペンタゴン)の最高機密文書です。 ケネディ政権、ジョンソン政権時の国防長官Robert S. McNamaraが作成した、全47巻の調査報告書です。

1945年から1967年までの20年超にわたる、アメリカのベトナム戦争への関与に関する調査と分析が書かれています。同様な海外政策の難題に直面した際の未来の意志決定者に向けた、ベトナム戦争に関する包括的な情報を記した、最高極秘文書でした。

1972年6月、ニューヨークタイムズ紙が、この極秘文書”ペンタゴン・ペーパーズ”をすっぱ抜きます。
それは、国防総省の元分析官ダニエル・エルズバーグが、議会や世論を反戦に動かそうと企み、ニューヨーク・タイムズなどにリークしたものでした。

Pentagon Papers
ペンタゴン・ペーパーズ

なぜ盗聴が必要だった!?

ペンタゴン・ペーパーズの漏洩により、ニクソン大統領(共和党)は前政権(民主党)に疑念を持つようになったと考えられています。

つまり、ニクソンのベトナム政策を妨害するために、ケネディやジョンソン前政権陣営が極秘文書を漏らしたと考えたのです。

そしてニクソンは、特別チームを作りました。彼らの任務は、国家機密の漏洩の黒幕を探すこと、その政敵と思われる黒幕の信用の失墜させること。彼らが、後に”Plumbers(プラマー)”として知られている、特別捜査ユニットであり、後々のウォーターゲート事件の侵入犯でした。

また、事件当時は大統領再任へ向けて選挙戦を戦っているときでした。 民主党をおとしめるために、1963年に起きた南ベトナムのNgo Dinh Diem首相の暗殺に、ケネディ元大統領が関与していたことを示す偽造文書の作成までも行っていたのでした。

ワシントンポストとディープ・スロート

この事件の真相解明には、ワシントンポストの記者2人(ボブ・ウッドワードとカール・ベルンステイン)の貢献が大きいことは有名です。

事件当初、多くの人々はニクソンが関与しているとは考えていなかった中、2人はお金の流れから、ニクソン大統領との関連を掴んでいきます。

彼らは、ディープ・スロートとして知られているFBIの極秘情報源を使って真相を探り、この報告がきっかけで事件が真相解明に大きく動いていきました。

ウォーターゲートビルと川を挟んでほど近い、Rosslynのとある駐車場で、ワシントンポストの記者とディープ・スロートは密会していました。ここで、1972年10月から1973年11月までに、6回にわたる密会により、ニクソン政権がFBIの捜査を妨害していることを明らかにする情報が提供されています。

2017年末時点では、まだこの駐車場は残っており、上述の説明の一部が記載された看板が立っています。

garage
駐車場(右端)とその解説の看板

ウォーターゲート事件を描いた映画

ウォーターゲート事件は、様々な視点から今なお映画化されています。

1976年、最初にウォーターゲート事件を大々的に取り上げたのが、不朽の名作”大統領の陰謀”です。ワシントンポストの記者の視点で事件について描いています。

ワシントンポストの記者に情報をリークしたディープ・スロートの視点から描いた映画が、2017年に公開された”ザ・シークレットマン”です。

ベトナム戦争に関する国防総省の極秘文書”ペンタゴンペーパーズ”の大スクープをするニューヨークタイムズの視点で描かれた映画が、2018年に公開された”ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書”です。

ウォーターゲート事件がわかる観光地

https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_0359_.jpg?fit=900%2C506&ssl=1https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_0359_.jpg?resize=150%2C150&ssl=1やだこアメリカの歴史映画の舞台1972年 共和党ニクソン大統領は、選挙戦に勝つため敵の民主党本部に盗聴器を仕掛けさせました。しかし、実行犯は現行犯逮捕されてしまいます。ニクソンは自らの関与を否定して隠ぺい工作に走るものの、2年の歳月をかけてすべてが明らかとなり自ら辞任へ。米国史上初にして唯一の、現役大統領が辞任することとなった一大政治スキャンダルです。 ウォーターゲート事件について、アメリカ国内博物館や観光地をめぐり、展示物、解説などから得た情報を中心にまとめています。この事件のゆかりの地も紹介しています。 ウォーターゲート事件の概要 ウォーターゲート事件とは、アメリカ史上で唯一現役の大統領が辞任にまで至った、一大スキャンダルです。時の大統領は、リチャード・ニクソン。 ウォーターゲートの意味は? ウォーターゲートとは、事件の発端となったビルの名前です。当時そのままではないものの、今もそこにウォーターゲートビルが建っています。 ポトマック川沿いに建つ、立派に目立つ丸いビルです。 現在のウォーターゲートビル 1972年、このビルには、民主党本部(当時の野党)が入っていました。現在は、ホテルも入る複合施設になっています。 ウォーターゲート事件の流れ 1972年6月17日、ウォーターゲートビルで、5人の侵入犯が逮捕。 5人の侵入犯が、民主党本部の電話に盗聴器をしかけ、極秘文書を盗み出そうとしているところを、現行犯逮捕されました。 いずれも、ニクソン大統領とつながりのある者たちでした。しかし、ニクソン大統領は、ホワイトハウスは関与していないと誓います。 1972年11月、米大統領選挙でニクソン再選。 多くの有権者はニクソンの誓いを信じ、大統領二期めを狙うニクソンを支持しました。 大統領再就任パレード ところが、ニクソンはその一方で、事件の隠ぺい工作に走っていました。 実行犯には“口止め料”を、CIAにはFBIの捜査を遅らせるように指示を出していました。 1973年6月、大統領の事件関与を認める、初の証言。 初めて大統領の事件関与を認める証言をしたのが、ホワイトハウスの顧問であるジョン・ディーン氏です。 上院での証人喚問の際の原稿が、アメリカ歴史博物館に展示されています。 証言するジョン・ディーンと、その原稿。 ”ニクソン大統領は、何を、いつから知っていたのか”という質問に対し、 ”事件の始めから、口止め料支払いなどに至るまで、広範囲に渡り大きく関与していた”と証言しました。 1973年7月、大統領補佐官の一人が、大統領の秘密の録音システムの存在を公表。 ホワイトハウスの大統領執務室等には秘密の録音システムがあり、すべての会話が録音されていることが判明しました。アメリカ議会、捜査官、一般市民など、多くの人がニクソン大統領関与の真相を解明する鍵になると確信しました。 1973年10月、録音テープの提出を求める捜査官を大統領権限で解雇(土曜日の夜の虐殺) コックスという一人の特別検察官が、ニクソンに録音テープの提出を求めました。 ニクソンは大統領権限でそれを拒み続けますが、おさまりを見せず、ニクソン側は”Stennis Compromise”という示談案を提示します。しかし、その案はテープの提出は拒む内容であったため、コックスは受け入れ拒否を発表しました。 これを受けたニクソンは大統領権限で、司法省にコックス特別検査官をクビにするように指示します。 しかし司法省トップの司法長官と司法長官代理は、自ら辞任する道を選んでその命令に抵抗しました。 次の順位にくる訴訟長官が、やむなくコックス特別検察官を解雇しました。 1974年7月24日、最高裁がニクソンに録音テープを引き渡すように命じる。 1974年8月5日、ニクソン側はようやく録音テープを提出。ニクソン大統領の共謀が白日の下となりました。 1974年8月8日、弾劾が必至な状態となったため、ニクソン大統領は自ら辞任を表明。 1974年8月9日、ニクソン大統領最後の日。ニクソン大統領は閣僚とホワイトハウス職員へ別れの挨拶。 ニクソン大統領のホワイトハウス職員への最後の挨拶 事件に関与した数名の補佐官は、有罪判決となり刑務所へ送られましたが、ニクソンは自身の過ちを最後まで認めませんでした。 ニクソン大統領ライブラリーでは、ホワイトハウスでの最後のスピーチの映像が流れています。特に悪びれた様子もなく、事件のことには一切触れていません。 大統領最後の日、ホワイトハウスの芝生の上に停まるヘリコプターから、両手ピースで手を振ってお別れしました。このなんとも図太い人間臭さが魅力的な、ニクソン大統領らしい去り方でした。 大統領専用ヘリに乗り、ホワイトハウスを去るニクソン大統領 ペンタゴン・ペーパーズ ペンダゴン・ペーパーズとは、ウォーターゲート事件の大本のきっかけとなった、国防総省(ペンタゴン)の最高機密文書です。 ケネディ政権、ジョンソン政権時の国防長官Robert S. McNamaraが作成した、全47巻の調査報告書です。 1945年から1967年までの20年超にわたる、アメリカのベトナム戦争への関与に関する調査と分析が書かれています。同様な海外政策の難題に直面した際の未来の意志決定者に向けた、ベトナム戦争に関する包括的な情報を記した、最高極秘文書でした。 1972年6月、ニューヨークタイムズ紙が、この極秘文書”ペンタゴン・ペーパーズ”をすっぱ抜きます。 それは、国防総省の元分析官ダニエル・エルズバーグが、議会や世論を反戦に動かそうと企み、ニューヨーク・タイムズなどにリークしたものでした。 ペンタゴン・ペーパーズ なぜ盗聴が必要だった!? ペンタゴン・ペーパーズの漏洩により、ニクソン大統領(共和党)は前政権(民主党)に疑念を持つようになったと考えられています。 つまり、ニクソンのベトナム政策を妨害するために、ケネディやジョンソン前政権陣営が極秘文書を漏らしたと考えたのです。 そしてニクソンは、特別チームを作りました。彼らの任務は、国家機密の漏洩の黒幕を探すこと、その政敵と思われる黒幕の信用の失墜させること。彼らが、後に”Plumbers(プラマー)”として知られている、特別捜査ユニットであり、後々のウォーターゲート事件の侵入犯でした。 また、事件当時は大統領再任へ向けて選挙戦を戦っているときでした。 民主党をおとしめるために、1963年に起きた南ベトナムのNgo Dinh Diem首相の暗殺に、ケネディ元大統領が関与していたことを示す偽造文書の作成までも行っていたのでした。 ワシントンポストとディープ・スロート この事件の真相解明には、ワシントンポストの記者2人(ボブ・ウッドワードとカール・ベルンステイン)の貢献が大きいことは有名です。 事件当初、多くの人々はニクソンが関与しているとは考えていなかった中、2人はお金の流れから、ニクソン大統領との関連を掴んでいきます。 彼らは、ディープ・スロートとして知られているFBIの極秘情報源を使って真相を探り、この報告がきっかけで事件が真相解明に大きく動いていきました。 ウォーターゲートビルと川を挟んでほど近い、Rosslynのとある駐車場で、ワシントンポストの記者とディープ・スロートは密会していました。ここで、1972年10月から1973年11月までに、6回にわたる密会により、ニクソン政権がFBIの捜査を妨害していることを明らかにする情報が提供されています。 2017年末時点では、まだこの駐車場は残っており、上述の説明の一部が記載された看板が立っています。 駐車場(右端)とその解説の看板 ウォーターゲート事件を描いた映画 ウォーターゲート事件は、様々な視点から今なお映画化されています。 1976年、最初にウォーターゲート事件を大々的に取り上げたのが、不朽の名作”大統領の陰謀”です。ワシントンポストの記者の視点で事件について描いています。 ワシントンポストの記者に情報をリークしたディープ・スロートの視点から描いた映画が、2017年に公開された”ザ・シークレットマン”です。 ベトナム戦争に関する国防総省の極秘文書”ペンタゴンペーパーズ”の大スクープをするニューヨークタイムズの視点で描かれた映画が、2018年に公開された”ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書”です。 ウォーターゲート事件がわかる観光地一人旅でも100倍楽しめる アメリカ観光ナビ