戦艦ミズーリ

オススメ度:★★★★★

太平洋戦争の終結時、日本が降伏文書に調印した場所がこの戦艦ミズーリ。調印式の執り行われたその船上で、当時の様子や日本の特攻機の決死の戦いの証などを知ることができます。日本語ガイドツアーもあり、とても素晴らしいです。

戦艦ミズーリの観光基本情報

point

営業時間: 8:00am – 4:00pm
定休日: 1/1、感謝祭(11月)、12/25
入場料: 大人$29(探検家ツアーの場合$54)
所要時間: 2時間程度
住所: 63 Cowpens St, Historic Ford Island, Honolulu, HI 96818
公式HP: 戦艦ミズーリ(Battleship Missouri Memorial)

(2019/8現在)

戦艦ミズーリの概要

戦艦ミズーリは、太平洋戦争時に日本と戦った戦艦の一つであり、終戦時には日本の降伏文書調印式の会場となった場所です。日本との戦いの跡や、降伏文書調印式の様子などがたくさん残っています。

戦艦ミズーリは太平洋戦争中に完成した戦艦のため、太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃は逃れており、その後湾岸戦争まで現役で活躍しました。1992年3月31日に現役を引退し、その後太平洋戦争開戦の地となった真珠湾(パールハーバー)に移されました。

戦艦ミズーリの見どころ

戦艦ミズーリにはたくさんの日本人が訪れるため、充実した日本語ガイドツアーが開催されています。通常のツアー(30分程度:$29)と、探検家ツアー(90分程度:$54)がありますが、探検家ツアーに参加して見てきた情報を紹介します。

降伏文書調印式

1945年9月2日、東京湾海上に停泊していたこの戦艦ミズーリの船上で、日本の太平洋戦争降伏文書調印式が行われました。

日本からは政府全権の重光葵外相や大本営全権の梅津美治郎参謀総長らが、連合国軍からは米国マッカーサー元帥など各国の代表が出席し、この巨大な降伏文書に一人ずつ署名していきました。その降伏文書も調印式が行われた場所に展示されています。

降伏文書

降伏文書
太平洋戦争の降伏文書

2つの降伏文書が並んでおり、署名の部分をよく見ると左側の文書のカナダ代表部分が空欄になっています。
降伏文書
2枚の降伏文書

本来国名の上に署名すべきところを、カナダ代表が間違えて下に署名してしまい、その後の署名者全員の署名がひとつずつ後ろにずれてしまったそうです。こんな歴史的な重要文書でも、このようなミスがあるのですね。

記念銅板

まさに日本がこの降伏文書に署名した場所には、その後丸い記念銅板がはめられており、その奥の壁には当時の様子を写した写真が展示されています。

調印式場所
降伏文書調印式の場所

この当初の記念銅板は1945年に作製されましたが、現在の戦艦ミズーリにはめ込まれているものは、1989年にオリジナルの型から作られたレプリカとなっています。長年の手入れによって磨かれたことにより、凸凹がすり減ってきてしまったため、レプリカに置き換えられたそうです。

オリジナルのものは期間限定で、戦艦ミズーリ内の上級士官食堂に展示されています。
オリジナル銅板
上級士官食堂に展示されているオリジナルの銅板

戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機

戦艦ミズーリは終戦間際、沖縄北東の海上から沖縄戦に参戦していました。その沖縄戦によりついた傷跡が残っています。

沖縄戦では日本は神風特攻隊に頼る10死0生の戦略が主流になっていました。沖縄戦による米海軍の犠牲は、死者5000人、沈められた船36隻であり、その多くが特攻隊による攻撃でした。

ただ、ほとんどの特攻機は米軍に大きなダメージを与えることはできず、この戦艦ミズーリに対してもたどり着くことなく撃ち返されています。そんな中、唯一1機のみ戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機がありました。

その傷痕がこちらの写真です。白くまっすぐ伸びた手すりが、1か所だけ内側に凹んでいる部分が確認できます。これが、特攻機が戦艦ミズーリに突っ込んだ際にできたへこみです。
特攻機の痕
特攻機がつけた傷跡

まさにその特攻機が突っ込んでくる、直前の瞬間をとらえた写真も残っています。

衝突直前の特攻機

戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機

1945年4月11日、沖縄戦開戦から10日目、16機の特攻隊が鹿児島県鹿屋基地から戦艦ミズーリを目がけて飛び立ちました。

その中に1機だけ、攻撃されてもなおよろよろの状態で機体を立て直しては戦艦ミズーリに向かってくる特攻機がありました。

14:43、その特攻機の左翼がついに戦艦ミズーリに接触し、戦艦ミズーリにわずかなへこみを作りました。その衝撃で反対側の右翼が飛び散り、戦艦の甲板に乗り上げ火の海となりました。その火は船員たちによりすぐに鎮火されましたので、戦艦ミズーリに大きなダメージはありませんでした。

その後片付けられた特攻機の残骸の中には、その特攻機に乗っていた日本兵の遺体もありました。戦艦ミズーリの艦長は敵ながら勇敢な戦いをしたその日本兵を称え、丁重に弔うことを船員に命令しました。

4月12日午前9:00、その日本兵の遺体は米軍兵により水葬に付されました。

米軍兵によって縫われた日本の国旗に身を包まれ、その特攻機が戦艦ミズーリにダメージを与えたポイントの近くから海に戻されたそうです。


特攻機に乗っていた日本兵の水葬

米兵の生活空間

ガイドツアーでは、米軍兵の生活空間も見学することができます。

たくさんのベッドルームがあり、所狭しと簡易2段ベッドが組み込まれています。
ベッドルーム
ベッドルーム

長い船上での生活には、怪我や病気を治療する病院はもちろんのこと、歯医者などもあったようです。
歯医者
歯医者

アメリカらしいハンバーガーなどを売るカフェテリアがありました。
カフェテリア
カフェテリア

このカフェテリアで好きなものを買い、食事をしていたようです。
食堂
一般士官の使う食堂

探検家ツアーのみで見学できる場所

ンかツアーに参加すると、上で紹介した場所以外にも
戦艦ミズーリに銃弾の充填作業をする場所、配電設備等がある場所、ボイラー室等々、制限エリア内にも案内してくれます。

探検家ツアーの方が通常のツアーよりお金も時間もかかりますが、その分の価値はあると思いました。一方で、通常のツアーでも日本人にとって欠かせない場所はもれなく案内してもらえるので、こちらでも十分に楽しめると思います。

時間と予算に応じて、どちらを選んでもかけた分に見合った満足感が得られると感じました。

観光Tips!

通常のツアーであれば予約せずにチケット購入できますが、探検家ツアーに参加する場合は事前予約が必要です。

チケットは、こちらから日本語で予約できます。

戦艦ミズーリで見られる主な歴史

https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/08/DSC_1628_.jpg?fit=900%2C506&ssl=1https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/08/DSC_1628_.jpg?resize=150%2C150&ssl=1やだこハワイ(Hawaii), HIオススメ度★★★★★オススメ度:★★★★★ 太平洋戦争の終結時、日本が降伏文書に調印した場所がこの戦艦ミズーリ。調印式の執り行われたその船上で、当時の様子や日本の特攻機の決死の戦いの証などを知ることができます。日本語ガイドツアーもあり、とても素晴らしいです。 戦艦ミズーリの観光基本情報 point 営業時間: 8:00am - 4:00pm 定休日: 1/1、感謝祭(11月)、12/25 入場料: 大人$29(探検家ツアーの場合$54) 所要時間: 2時間程度 住所: 63 Cowpens St, Historic Ford Island, Honolulu, HI 96818 公式HP: 戦艦ミズーリ(Battleship Missouri Memorial) (2019/8現在) 戦艦ミズーリの概要 戦艦ミズーリは、太平洋戦争時に日本と戦った戦艦の一つであり、終戦時には日本の降伏文書調印式の会場となった場所です。日本との戦いの跡や、降伏文書調印式の様子などがたくさん残っています。 戦艦ミズーリは太平洋戦争中に完成した戦艦のため、太平洋戦争開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃は逃れており、その後湾岸戦争まで現役で活躍しました。1992年3月31日に現役を引退し、その後太平洋戦争開戦の地となった真珠湾(パールハーバー)に移されました。 戦艦ミズーリの見どころ 戦艦ミズーリにはたくさんの日本人が訪れるため、充実した日本語ガイドツアーが開催されています。通常のツアー(30分程度:$29)と、探検家ツアー(90分程度:$54)がありますが、探検家ツアーに参加して見てきた情報を紹介します。 降伏文書調印式 1945年9月2日、東京湾海上に停泊していたこの戦艦ミズーリの船上で、日本の太平洋戦争降伏文書調印式が行われました。 日本からは政府全権の重光葵外相や大本営全権の梅津美治郎参謀総長らが、連合国軍からは米国マッカーサー元帥など各国の代表が出席し、この巨大な降伏文書に一人ずつ署名していきました。その降伏文書も調印式が行われた場所に展示されています。 降伏文書 太平洋戦争の降伏文書 2つの降伏文書が並んでおり、署名の部分をよく見ると左側の文書のカナダ代表部分が空欄になっています。 2枚の降伏文書 本来国名の上に署名すべきところを、カナダ代表が間違えて下に署名してしまい、その後の署名者全員の署名がひとつずつ後ろにずれてしまったそうです。こんな歴史的な重要文書でも、このようなミスがあるのですね。 記念銅板 まさに日本がこの降伏文書に署名した場所には、その後丸い記念銅板がはめられており、その奥の壁には当時の様子を写した写真が展示されています。 降伏文書調印式の場所 この当初の記念銅板は1945年に作製されましたが、現在の戦艦ミズーリにはめ込まれているものは、1989年にオリジナルの型から作られたレプリカとなっています。長年の手入れによって磨かれたことにより、凸凹がすり減ってきてしまったため、レプリカに置き換えられたそうです。 オリジナルのものは期間限定で、戦艦ミズーリ内の上級士官食堂に展示されています。 上級士官食堂に展示されているオリジナルの銅板 戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機 戦艦ミズーリは終戦間際、沖縄北東の海上から沖縄戦に参戦していました。その沖縄戦によりついた傷跡が残っています。 沖縄戦では日本は神風特攻隊に頼る10死0生の戦略が主流になっていました。沖縄戦による米海軍の犠牲は、死者5000人、沈められた船36隻であり、その多くが特攻隊による攻撃でした。 ただ、ほとんどの特攻機は米軍に大きなダメージを与えることはできず、この戦艦ミズーリに対してもたどり着くことなく撃ち返されています。そんな中、唯一1機のみ戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機がありました。 その傷痕がこちらの写真です。白くまっすぐ伸びた手すりが、1か所だけ内側に凹んでいる部分が確認できます。これが、特攻機が戦艦ミズーリに突っ込んだ際にできたへこみです。 特攻機がつけた傷跡 まさにその特攻機が突っ込んでくる、直前の瞬間をとらえた写真も残っています。 衝突直前の特攻機 戦艦ミズーリに傷痕を残した特攻機 1945年4月11日、沖縄戦開戦から10日目、16機の特攻隊が鹿児島県鹿屋基地から戦艦ミズーリを目がけて飛び立ちました。 その中に1機だけ、攻撃されてもなおよろよろの状態で機体を立て直しては戦艦ミズーリに向かってくる特攻機がありました。 14:43、その特攻機の左翼がついに戦艦ミズーリに接触し、戦艦ミズーリにわずかなへこみを作りました。その衝撃で反対側の右翼が飛び散り、戦艦の甲板に乗り上げ火の海となりました。その火は船員たちによりすぐに鎮火されましたので、戦艦ミズーリに大きなダメージはありませんでした。 その後片付けられた特攻機の残骸の中には、その特攻機に乗っていた日本兵の遺体もありました。戦艦ミズーリの艦長は敵ながら勇敢な戦いをしたその日本兵を称え、丁重に弔うことを船員に命令しました。 4月12日午前9:00、その日本兵の遺体は米軍兵により水葬に付されました。 米軍兵によって縫われた日本の国旗に身を包まれ、その特攻機が戦艦ミズーリにダメージを与えたポイントの近くから海に戻されたそうです。 特攻機に乗っていた日本兵の水葬 米兵の生活空間 ガイドツアーでは、米軍兵の生活空間も見学することができます。 たくさんのベッドルームがあり、所狭しと簡易2段ベッドが組み込まれています。 ベッドルーム 長い船上での生活には、怪我や病気を治療する病院はもちろんのこと、歯医者などもあったようです。 歯医者 アメリカらしいハンバーガーなどを売るカフェテリアがありました。 カフェテリア このカフェテリアで好きなものを買い、食事をしていたようです。 一般士官の使う食堂 探検家ツアーのみで見学できる場所 ンかツアーに参加すると、上で紹介した場所以外にも 戦艦ミズーリに銃弾の充填作業をする場所、配電設備等がある場所、ボイラー室等々、制限エリア内にも案内してくれます。 探検家ツアーの方が通常のツアーよりお金も時間もかかりますが、その分の価値はあると思いました。一方で、通常のツアーでも日本人にとって欠かせない場所はもれなく案内してもらえるので、こちらでも十分に楽しめると思います。 時間と予算に応じて、どちらを選んでもかけた分に見合った満足感が得られると感じました。 観光Tips! 通常のツアーであれば予約せずにチケット購入できますが、探検家ツアーに参加する場合は事前予約が必要です。 チケットは、こちらから日本語で予約できます。 戦艦ミズーリで見られる主な歴史一人旅でも100倍楽しめる アメリカ観光ナビ