モンゴメリーバスボイコット運動(ローザ・パークス事件)とは?BLMの原点!?公民権運動の始まりをわかりやすく説明します
1955年
黒人への人種差別が特に激しい米国南部アラバマ州で、黒人女性のローザ・パークスがバスの座席を白人に譲らなかったために逮捕されました。人種差別法違反の罪でした。 これを機に、黒人は一致団結して人種差別に抗議し、バスのボイコットを始めました。
この運動を指揮したのがキング牧師であり、ここから公民権運動が盛んになっていきます。
このサイトでは、アメリカ国内の関連する観光地や博物館をめぐり、展示、解説などから得た情報を中心にバスボイコット事件についてまとめています。関連する観光地等も紹介しています。
バスボイコット(Bus Boycott)の概要
1955年、バスの座席差別への抗議として起きたバスボイコット事件(ローザ・パークス事件)をきっかけに、公民権運動が盛んになり各地で人種差別に苦しむ黒人が立ち上がりました。
1950年~60年代の時代背景
1950~60年代、アラバマ州などの特にアメリカ南部は黒人差別が激しいものでした。 トイレ、水飲み場、学校、レストランの座席など、あらゆるものが白人専用と有色人種用に分かれていました。
バスの座席ももちろん分かれており、前方が白人専用席となっていました。 白人専用席がいっぱいになると、後部に座っている黒人に席を譲らせ、白人は後部座席に座ることもできました。
当時のモントゴメリのバスの再現@公民権運動博物館
1955年12月1日の出来事(ローザ・パークスの逮捕)
1955年12月1日、Rosa Parksという一人の黒人女性が、仕事帰りにバスに乗っていました。Rosa Parksはその日、白人専用席のすぐ後ろの席に座りました。
ローザ・パークスの像@ローザ・パークス博物館
次の停留所で白人がバスに乗ってきました。白人専用席にはもう空きがありません。 バスの運転手が、Rosa Parksと他2人の黒人に、座席を譲るように命令しました。
白人に席を譲るように命令する運転手@公民権運動博物館
ほかの2人の黒人はしぶしぶ席を立つも、Rosa Parksは席を譲ることを拒みました。 人種差別にうんざりしていたからです。
白人に席を譲らなかったことで、Rosa Parksは市の人種差別法に違反したという罪で現行犯逮捕されました。
バスボイコットの呼びかけ
E.D.ニクソンという公民権運動のリーダーが、ローザ・パークスの逮捕後すぐに保釈金を支払いました。ニクソンは、この事件が人種差別法を変えるチャンスだと考えたのです。
それまでも黒人が席を譲らずに逮捕される事件は何件か起きていましたが、それは治安を乱す行為という罪であり、今回のような人種差別法違反の罪ではありませんでした。
ニクソンは黒人リーダーを集めて行動を起こします。すぐに何千ものリーフレットを、黒人コミュニティに配布しました。12月5日、ローザ・パークスの裁判が行われる日に、モントゴメリのバスに乗ることをボイコットする計画です。
“12月5日月曜日、仕事、町、学校、どこかに行くためにバスに乗らないように!”
配布されたリーフレットのコピー
1955年12月5日(バスボイコット当日)
バスボイコット運動の黒人リーダーたちの中には、後に公民権運動の立役者となる、当時まだ無名のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師もいました。
12月5日月曜日、キング牧師は自宅のリビングから朝6時に通る始発バスを確認しました。キング牧師の目に入ってきた光景は、からっぽのバスでした。普段はとても混んでいる始発も、その次の別のバスもからっぽでした。
当時のキング牧師の家
結局その日、町のバス停には黒人が全く並ばず、その代わりに、車道の両脇に黒人歩行者がいっぱい歩いていました。 ボイコット成功です。
非暴力の公民権運動の始まり
バスボイコットの黒人リーダーたちは、この大きな草の根運動を指揮する”モントゴメリ向上協会(MIA)”を立ち上げました。 そして、そのMIAのリーダーにキング牧師が選ばれたのです。
キング牧師は、当時Dexter Avenue Baptist Churchの牧師として、モントゴメリに移住してきたばかりでした。人柄もさることながら、新参者ということが都合がよかったようです。
当時のキング牧師が勤めていた教会
その日の夜、キング牧師はHolt Street Baptist Churchに集まる15,000人の聴衆の前で演説をしました。この時からキング牧師は非暴力をモットーに掲げ、黒人たちの気持ちを盛り立てて数々の名スピーチを残していくこととなります。
アラバマ州やモントゴメリ市との戦い
黒人によるバスボイコットは12月5日のみにとどまらず、その後も続いていきました。そして、黒人コミュニティとアラバマ州やモントゴメリ市とのイタチごっこの戦いが始まります。
タクシーの禁止
まず初めに、市は安い運賃でボイコッターたちをタクシーに乗せることを禁止しました。
黒人コミュニティはそれに対応し、助け合いながら目的地が近い人たちを集め、車を持っている人が送る相乗りの仕組みを作りました。黒人のメイドなどがいないと生活できない、白人女性たちも送迎に協力してくれました。
キング牧師の逮捕
戦いが1か月ほど過ぎる頃、市はだんだん卑劣な手段を使うようになりました。
「キング牧師はMIA協会のお金を横領している」
そんな嘘の噂を流し、信用を失墜させるような工作をしていきました。さらには、小さな交通違反を理由にキング牧師を逮捕しました。簡易ベッドがひとつポツンとあるだけの、汚く何もない部屋に投獄され、キング牧師は屈辱を受けました。
キング牧師が投獄された牢屋の再現@公民権博物館
その後も多くの黒人たちが逮捕され、モントゴメリやキング牧師のニュースが全米に知れ渡るようになっていきます。
法的論争
全米にモントゴメリの状況が知られるようになると、1956年6月ついにモントゴメリのバス会社は、座席の人種差別の方針を取り下げました。
しかし、この小さな勝利に喜んだのもつかの間、今度はこれにアラバマ州立裁判所が横やりを入れてきたのです。
「人種差別は続けなければならない」アラバマ州の裁判所は、そうと言いました。
連邦裁判所はその判断を却下しましたが、モントゴメリ市は今度は最高裁判所に訴えをもっていきました。
相乗り制度の廃止
法的な論争が続く中、モントゴメリ市は相乗りの仕組みに対するうまい攻撃材料を見つけていきます。
相乗りの仕組みは個人事業になり、これが免許なしに行われているということに注目したのです。
1956年10月、モントゴメリ市はこれにより、MIA協会に罰金$15,000と相乗り制度廃止を命じたのです。これはバスのボイコットの終焉を意味していました。
黒人の勝利
ワシントンDCからの朗報が飛び込んできたのは、そんな窮地に立たされ、キング牧師が裁判所に抗議をしていた時でした。
最高裁が、アラバマ州やモントゴメリ市で定めたバスの人種差別法が、違憲であるという判決をくだしたのでした。
1956年12月21日、黒人がバスに戻り、自分の好きな座席に座ることができる日がやってきました。
キング牧師や仲間のニクソン、Abernathyらはバスに乗り、これまで白人専用席であった前方の席に座っている写真が残っています。
バスの前方に座るキング牧師たち
そして、このバスボイコット事件をきっかけに、黒人コミュニティがさらなる人種差別との戦いに立ち向かっていくことになります。
バスボイコット事件(ローザ・パークス事件)を訪ねる旅
ローザ・パークスの逮捕現場
ローザ・パークスが逮捕された場所は、アラバマ州モントゴメリ市のローザ・パークス博物館(Rosa Parks Museum)の前です。
ローザ・パークスが逮捕された場所(ローザ・パークス博物館)
ここが、Rosa Parksが逮捕された場所です。建物の前に看板が立っており、”ローザ・パークスがここで逮捕された”と書いていあります。
説明看板
このローザ・パークス博物館(Rosa Parks Museum)は、バスボイコット事件に関する博物館になっており、映像と音声でローザ・パークス事件が再現されています。
ローザ・パークス事件を体感!?
テネシー州メンフィスにある公民権運動博物館では、実際にこの事件を体験できます。展示のバスに乗車して前方に座ると、運転手から席をどくように怒られます。
この博物館は、ローザ・パークス事件を含め、黒人の人種差別に関する事件がとてもわかりやすく説明されています。
バスボイコットを指揮したキング牧師の家
バスボイコットを指揮したキング牧師が、当時住んでいた家は今も残っています。この家のリビングから、キング牧師はバスの様子を確認しました。リビングは、写真建物の1階左側部分です。
下の写真は、キング牧師宅のリビングの外から、キング牧師が見ていたであろうバス停の方を撮ったものです。
キング牧師の家から見たバス停側
このキング牧師の家は、”デクスター牧師博物館”となり、家の中を見学することができます。
キング牧師が勤めていた教会
キング牧師が当時勤めていたDexter Baptist Churchも残っており、中も見学することができます。キング牧師が使っていた書斎なども展示されています。
バスボイコット事件がわかる観光地
https://yadakotour.work/history/rosaparks/バスボイコット(ローザ・パークス事件)を公民権運動発祥の地モンゴメリーで振り返る(Bus Boycott)https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_4708_.jpg?fit=900%2C506&ssl=1https://i2.wp.com/yadakotour.work/wp-content/uploads/2019/06/DSC_4708_.jpg?resize=150%2C150&ssl=1アメリカの歴史マーチン・ルーサー・キング・ジュニア1955年 黒人への人種差別が特に激しい米国南部アラバマ州で、黒人女性のローザ・パークスがバスの座席を白人に譲らなかったために逮捕されました。人種差別法違反の罪でした。 これを機に、黒人は一致団結して人種差別に抗議し、バスのボイコットを始めました。 この運動を指揮したのがキング牧師であり、ここから公民権運動が盛んになっていきます。 このサイトでは、アメリカ国内の関連する観光地や博物館をめぐり、展示、解説などから得た情報を中心にバスボイコット事件についてまとめています。関連する観光地等も紹介しています。 バスボイコット(Bus Boycott)の概要 1955年、バスの座席差別への抗議として起きたバスボイコット事件(ローザ・パークス事件)をきっかけに、公民権運動が盛んになり各地で人種差別に苦しむ黒人が立ち上がりました。 1950年~60年代の時代背景 1950~60年代、アラバマ州などの特にアメリカ南部は黒人差別が激しいものでした。 トイレ、水飲み場、学校、レストランの座席など、あらゆるものが白人専用と有色人種用に分かれていました。 バスの座席ももちろん分かれており、前方が白人専用席となっていました。 白人専用席がいっぱいになると、後部に座っている黒人に席を譲らせ、白人は後部座席に座ることもできました。 当時のモントゴメリのバスの再現@公民権運動博物館 1955年12月1日の出来事(ローザ・パークスの逮捕) 1955年12月1日、Rosa Parksという一人の黒人女性が、仕事帰りにバスに乗っていました。Rosa Parksはその日、白人専用席のすぐ後ろの席に座りました。 ローザ・パークスの像@ローザ・パークス博物館 次の停留所で白人がバスに乗ってきました。白人専用席にはもう空きがありません。 バスの運転手が、Rosa Parksと他2人の黒人に、座席を譲るように命令しました。 白人に席を譲るように命令する運転手@公民権運動博物館 ほかの2人の黒人はしぶしぶ席を立つも、Rosa Parksは席を譲ることを拒みました。 人種差別にうんざりしていたからです。 白人に席を譲らなかったことで、Rosa Parksは市の人種差別法に違反したという罪で現行犯逮捕されました。 バスボイコットの呼びかけ E.D.ニクソンという公民権運動のリーダーが、ローザ・パークスの逮捕後すぐに保釈金を支払いました。ニクソンは、この事件が人種差別法を変えるチャンスだと考えたのです。 それまでも黒人が席を譲らずに逮捕される事件は何件か起きていましたが、それは治安を乱す行為という罪であり、今回のような人種差別法違反の罪ではありませんでした。 ニクソンは黒人リーダーを集めて行動を起こします。すぐに何千ものリーフレットを、黒人コミュニティに配布しました。12月5日、ローザ・パークスの裁判が行われる日に、モントゴメリのバスに乗ることをボイコットする計画です。 “12月5日月曜日、仕事、町、学校、どこかに行くためにバスに乗らないように!” 配布されたリーフレットのコピー 1955年12月5日(バスボイコット当日) バスボイコット運動の黒人リーダーたちの中には、後に公民権運動の立役者となる、当時まだ無名のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師もいました。 12月5日月曜日、キング牧師は自宅のリビングから朝6時に通る始発バスを確認しました。キング牧師の目に入ってきた光景は、からっぽのバスでした。普段はとても混んでいる始発も、その次の別のバスもからっぽでした。 当時のキング牧師の家 結局その日、町のバス停には黒人が全く並ばず、その代わりに、車道の両脇に黒人歩行者がいっぱい歩いていました。 ボイコット成功です。 非暴力の公民権運動の始まり バスボイコットの黒人リーダーたちは、この大きな草の根運動を指揮する”モントゴメリ向上協会(MIA)”を立ち上げました。 そして、そのMIAのリーダーにキング牧師が選ばれたのです。 キング牧師は、当時Dexter Avenue Baptist Churchの牧師として、モントゴメリに移住してきたばかりでした。人柄もさることながら、新参者ということが都合がよかったようです。 当時のキング牧師が勤めていた教会 その日の夜、キング牧師はHolt Street Baptist Churchに集まる15,000人の聴衆の前で演説をしました。この時からキング牧師は非暴力をモットーに掲げ、黒人たちの気持ちを盛り立てて数々の名スピーチを残していくこととなります。 アラバマ州やモントゴメリ市との戦い 黒人によるバスボイコットは12月5日のみにとどまらず、その後も続いていきました。そして、黒人コミュニティとアラバマ州やモントゴメリ市とのイタチごっこの戦いが始まります。 タクシーの禁止 まず初めに、市は安い運賃でボイコッターたちをタクシーに乗せることを禁止しました。 黒人コミュニティはそれに対応し、助け合いながら目的地が近い人たちを集め、車を持っている人が送る相乗りの仕組みを作りました。黒人のメイドなどがいないと生活できない、白人女性たちも送迎に協力してくれました。 キング牧師の逮捕 戦いが1か月ほど過ぎる頃、市はだんだん卑劣な手段を使うようになりました。 「キング牧師はMIA協会のお金を横領している」 そんな嘘の噂を流し、信用を失墜させるような工作をしていきました。さらには、小さな交通違反を理由にキング牧師を逮捕しました。簡易ベッドがひとつポツンとあるだけの、汚く何もない部屋に投獄され、キング牧師は屈辱を受けました。 キング牧師が投獄された牢屋の再現@公民権博物館 その後も多くの黒人たちが逮捕され、モントゴメリやキング牧師のニュースが全米に知れ渡るようになっていきます。 法的論争 全米にモントゴメリの状況が知られるようになると、1956年6月ついにモントゴメリのバス会社は、座席の人種差別の方針を取り下げました。 しかし、この小さな勝利に喜んだのもつかの間、今度はこれにアラバマ州立裁判所が横やりを入れてきたのです。 「人種差別は続けなければならない」アラバマ州の裁判所は、そうと言いました。 連邦裁判所はその判断を却下しましたが、モントゴメリ市は今度は最高裁判所に訴えをもっていきました。 相乗り制度の廃止 法的な論争が続く中、モントゴメリ市は相乗りの仕組みに対するうまい攻撃材料を見つけていきます。 相乗りの仕組みは個人事業になり、これが免許なしに行われているということに注目したのです。 1956年10月、モントゴメリ市はこれにより、MIA協会に罰金$15,000と相乗り制度廃止を命じたのです。これはバスのボイコットの終焉を意味していました。 黒人の勝利 ワシントンDCからの朗報が飛び込んできたのは、そんな窮地に立たされ、キング牧師が裁判所に抗議をしていた時でした。 最高裁が、アラバマ州やモントゴメリ市で定めたバスの人種差別法が、違憲であるという判決をくだしたのでした。 1956年12月21日、黒人がバスに戻り、自分の好きな座席に座ることができる日がやってきました。 キング牧師や仲間のニクソン、Abernathyらはバスに乗り、これまで白人専用席であった前方の席に座っている写真が残っています。 バスの前方に座るキング牧師たち そして、このバスボイコット事件をきっかけに、黒人コミュニティがさらなる人種差別との戦いに立ち向かっていくことになります。 バスボイコット事件(ローザ・パークス事件)を訪ねる旅 ローザ・パークスの逮捕現場 ローザ・パークスが逮捕された場所は、アラバマ州モントゴメリ市のローザ・パークス博物館(Rosa Parks Museum)の前です。 ローザ・パークスが逮捕された場所(ローザ・パークス博物館) ここが、Rosa Parksが逮捕された場所です。建物の前に看板が立っており、”ローザ・パークスがここで逮捕された”と書いていあります。 説明看板 このローザ・パークス博物館(Rosa Parks Museum)は、バスボイコット事件に関する博物館になっており、映像と音声でローザ・パークス事件が再現されています。 ローザ・パークス事件を体感!? テネシー州メンフィスにある公民権運動博物館では、実際にこの事件を体験できます。展示のバスに乗車して前方に座ると、運転手から席をどくように怒られます。 この博物館は、ローザ・パークス事件を含め、黒人の人種差別に関する事件がとてもわかりやすく説明されています。 バスボイコットを指揮したキング牧師の家 バスボイコットを指揮したキング牧師が、当時住んでいた家は今も残っています。この家のリビングから、キング牧師はバスの様子を確認しました。リビングは、写真建物の1階左側部分です。 下の写真は、キング牧師宅のリビングの外から、キング牧師が見ていたであろうバス停の方を撮ったものです。 キング牧師の家から見たバス停側 このキング牧師の家は、”デクスター牧師博物館”となり、家の中を見学することができます。 キング牧師が勤めていた教会 キング牧師が当時勤めていたDexter Baptist Churchも残っており、中も見学することができます。キング牧師が使っていた書斎なども展示されています。 バスボイコット事件がわかる観光地やだこ 55yam.adako@gmail.comAdministratorやだ旅
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