オススメ度:★★★☆☆

日本にゆかりのある像であり、迫力もあるので、アーリントン国立墓地と合わせて見に行くとよいです。

硫黄島記念碑の観光情報のポイント

point

営業時間: 終日
定休日: なし
観覧料: 無料
所要時間: 10分程度
公式HP: 硫黄島記念碑(Iwo Jima Memorial)

(2018/12現在)

硫黄島記念碑の概要

ワシントンDCに隣接するバージニア州アーリントンにある、米国海兵隊記念碑です。通称「硫黄島記念碑」と呼ばれるとおり、太平洋戦争中に日本と交えた硫黄島の戦いの印象的なシーンが表現されている巨大な像です。

太平洋戦争のワンシーンを描いていますが、この記念碑は太平洋戦争だけでなく、すべての戦争で犠牲になった米国海兵隊を慰霊するものだそうです。

硫黄島記念碑の見どころ

この像のモチーフは?

1945年2月23日、日本との激闘の末に6人のアメリカ兵が硫黄島に星条旗を立てる瞬間が、一枚の写真に収められました。この写真は後にピュリッツァー賞を受賞しています。米国にとっては太平洋戦争終結を象徴するものであり、1954年にアーリントンの町中に巨大な再現像までも作られました。

モチーフとなった写真は、ニュージアムのピュリッツァー賞の展示コーナーでみることができます。

ピュリッツァー賞の写真

ニュージアムのピュリッツァー賞の展示で撮った写真

兵士の顔

この銅像の建立には、硫黄島の戦いで生き残った3人の兵士が協力しています。そのため、その協力者3人の顔が銅像に描かれています。

faces

兵士の顔が見える角度

この写真だと1人しか顔が見えませんが、おそらく前の3人のことではないでしょうか。

その他の戦い

この慰霊碑は硫黄島の戦いのみならず、これまでのすべての戦争で犠牲になった米国海兵隊を慰霊するものです。

そのため銅像の土台には、1775年以降に米国海兵隊が関与した主な戦いが刻まれています。

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1775年以降の海兵隊が関与した戦争が刻まれた土台

硫黄島の戦いとは?

そもそも硫黄島の戦いとは、どのような戦いだったのでしょうか。

硫黄島の戦いは太平洋戦争も終戦間際、1945年2月19日から3月26日までの間、およそ7万人のアメリカ軍と2万1千人の日本軍が戦った戦です。

硫黄島は両国にとって戦略的にとても重要な場所だったため、両軍は莫大な犠牲を払いながらもこの戦い続けました。

アメリカ兵は、2万人近くが負傷、7千人が戦死。そして日本兵は、戦いが終わった時には1,100人しか生存者がいませんでした。

硫黄島はなぜ重要な場所だったのか!?

硫黄島は、日本とマリアナ諸島にあるアメリカ軍基地を結ぶと真ん中あたりに位置する島です。

1944年夏頃には、アメリカのB29爆撃機は、マリアナ諸島にある米軍基地からはるばる日本本土にやってきて、攻撃して戻るだけの飛距離を確保できるようになっていました。そこで、多くの爆撃機が日本本土に向かいましたが、戦闘機による護衛がなく、日本の反撃に遭って多くが海に落ちていきました。

日本本土への距離が近い硫黄島をアメリカ軍が占領したことで、アメリカは戦闘機の護衛をつけて爆撃機を飛ばせるようになり、また、攻撃を受けた爆撃機は硫黄島に避難することができるようになりました。

アメリカ軍にとってこの硫黄島の戦いの勝利は、爆撃作戦に膨大な利益をもたらしたと考えられています。現に終戦までの間に、2,400機のB29がここから離陸していきました。

硫黄島記念碑への行き方

メトロ地下鉄で行く場合は、オレンジライン、シルバーライン、ブルーラインの通る”ロズリン(Rosslyn)”駅、またはブルーラインとイエローラインの通る”アーリントン墓地メトロ(Arlington Cemetery Metro)”駅で降ります。

この二つが最寄り駅ですが、どちらからでもそこそこ歩きます。

オススメは、ロズリン駅から町中を見ながらぶらぶら歩き、硫黄島メモリアルを通りながらアーリントン国立墓地に行くルートです。

ワシントンDCへの旅行情報(ホテル・航空券)

ワシントンDC観光をする際の、旅行情報をこちらの記事にまとめました。治安情報や、オススメのホテル宿泊エリアの紹介などをしています。

硫黄島記念碑に関連する歴史

合わせて回りたい観光地(ワシントンDC近郊)

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